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若松・小田山霊園   

2009年 10月 24日

小田山霊園
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 小田山霊園、若松区深町の東川斜面の一角、三百平方メートルの空き地に約八〇体がリヤカーで運ばれ埋葬された。1974年日朝協会が行った「九州地方朝鮮人強制連行真相調査団」の調査の際に小田山霊園の近くに住んでいた厳正男・オムジョンナムさんが証言をされ明らかになった。リヤカーで遺体を運んだ一人。林えいだい著『強制連行記録』にも記載。
「小田山墓地追悼集会実行委員会」発行パンフより。
 
 パンフレット表紙には「未来は過去からの連続であり、今を生きる私たちによってつながれていく」とハングルも付して記されている。
 1990年から追悼集会を続けてきた「小田山墓地追悼集会実行委員会」が作成。

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 朝鮮人遭難の碑。追悼の集い。
 なお現地に立つ「碑の由来」北九州市の文章は日本の過去の歴史への反省を込めた字句が記されていないなどのために実行委員会は文章に不満です。<上記パンフより>

 
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ソッテ 
 新聞報道より。2006年には釜山市の市民団体「海外同胞民族文化教育ネットワーク」の趙顕章(チョヒュンジャン)代表ら28人が7月24日、終戦直後に若松区沖の響灘で遭難した朝鮮半島出身者の霊を慰める「小田山墓地」(同区深町1丁目)を訪れ、慰霊祭、韓国伝統の「ソッテ」を建立。
 慰霊祭では、約3メートルほどの木のさおに木製の鳥などを飾った、慰霊や守護の意味があるという韓国伝統の「ソッテ」を韓国の方向に向けて建立。民族楽器を演奏しながら献花を行った。6月には、釜山市の民主公園に若松方向を向いたソッテが建てられており、今回、双方から犠牲者たちを慰霊する意味が込められている。
  
 伊藤さんたちが取組んだストーンウォークでは2007年3月24日と25日に福岡県飯塚市の無窮花(ムグンファ)堂から同県北九州市若松区の小田山墓地まで行進した。

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 参加者一同が韓国語と日本語で読む追悼文
「植民地支配下において強制連行などにより日本に永住せざるをえなかった朝鮮人が1945年祖国解放を迎えて喜びに満ちて帰郷を急ぐ途中、若松沖にて遭難されました。その遺体がここに眠っています。本日、日本人は歴史への反省の意をもって在日韓国人・朝鮮人は追悼の意をもって共に歴史を心に刻むためにここに集いました」




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 韓国から持参のマッコリで献酒をするイ・デスさん。

 学校法人「福岡朝鮮学園」北九州朝鮮初級学校(幼稚園・小学校)、九州朝鮮中高級学校
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初級学校は1956年創立、2004年4月。中級部を移設し単独の初級学校となる・筑豊朝鮮初級学校を統合し校舎新築。黒崎にあったが高速道路建設のため移転し現在地に至る。

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五周年行事の練習風景。
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校舎中央部の吹き抜けが広く冬でも暖かいということです。

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初級学校の校長先生による案内を終え挨拶。
風貌がアン・ジュングンに似ていることを韓国の平和交流グループの一員が指摘。
アン・ジュングン先生と皆呼びました。


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八幡製鉄所跡
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新門司→大阪南港 フェリーボート甲板・交流会 瀬戸内海

夕方5時出港、翌朝5時に大阪南港着。12時間余り週末割引で6,000円が4,500円。
天理教のお参りのグループが福岡・山口から団体で乗船、4割引きで3,600円とのこと。
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by nikkan100 | 2009-10-24 20:35 | 「韓国併合」100年市民平和交流

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